東野圭吾『プラチナデータ』読了!
二宮和也さんが主演をつとめ、映画化もされた有名な作品ですよね。
本作品では「監視社会」がテーマになっているのではないかと
私は考えました。
(以下、ネタバレを含む、すでに読んだ人向けの感想となっておりますのでご注意ください)
国民のDNA情報を管理する検索システム
犯罪が起こった時にスムーズに犯人を見つけられるようにと開発された「DNA開発システム」。たかがDNAと思うかもしれませんが、DNAがわかるだけで、その人個人のさまざまな情報を割り当てることができます。
もし現実社会でDNA検索システムなんて作られたら気味が悪いです。
作中にも、「自分自身や家族が怪しいことをしなければ何も問題ないじゃないか」というニュアンスの発言があるのですが、そういう問題じゃありません。DNAを使って自分たちのことを監視されているみたいで、落ち着かない感じがします。
DNA検索システムの穴
結局、DNA検索システムには穴があったんです。政府の人間たちや開発者の一部のDNAの情報は守られていたんですよ。おかしいじゃないですか、そんなの。
でも、もし実際に日本でDNA検索システムが導入されたら政府の人間とかその家族のDNAは除外されるんだろうな。自分たちの手の内は晒さないで、国民、いわば私たちの弱みだけ握っているという状態。国民の知らないところで、自分たちだけお金や権力の力で不正をもみ消すという根性の悪さに呆れます。別にこれはDNA検索システムに限った話ではなく…おっと話が脱線し始めた…
穴を埋める「モーグル」
しかし、DNA検索システムを開発した蓼科兄妹は、政府の人間のための抜け道を作ってしまったことを深く後悔します。それを修正するために、蓼科兄妹がもう一つ、極秘で開発したプログラムが「モーグル」です。しかし、それを共同開発者である神楽に渡す前に殺されてしまいます。やはり正義は大きな圧力に握りつぶされてしまうのね。
もう一人の神楽
もう一人の神楽、「リュウ」。父親の自殺による精神へのダメージを和らげるために神楽が無意識のうちに生み出した、彼のもう一人の人格です。二重人格って、だいたいその人の心の傷を補うためにもう一人の人格がいるんですよね。だから、もう一人の人格は、その人の心の傷の表れのようなもの。お父さんのエピソードのところがすごく切なかった。神楽もお父さんも陶芸に誇りを持っていたのに、それを覆されるくやしさ、恥ずかしさ、哀しさは計り知れません。
スズラン
リュウの恋人であるスズラン。リュウの目では蓼科早樹は本当に少女のように見えていたんでしょうね。最後のウエディングドレスのシーンめちゃめちゃ切なかった。だって、途中まではスズランは幻覚ではなくて、蓼科早樹で、本当に実在していたから。蓼科早樹が死んだことによってリュウは自ら幻覚を創り出し、彼女のウエディングドレスの作品を描いて死ぬって…切なすぎる…。一つだけ疑問なのはどうしてスズランという名前なんだろう?ってところ。花言葉かしら。私としては、彼女のミステリアスな感じとスズランという名前の響きと純粋さがすごくマッチしてていいな~と思いました。
握りつぶされる真実
神楽も浅間も真相にたどり着いたのに、結局二人はDNA検索システムの穴を誰かに公開することなく、言いくるめられてしまいます。やっぱり現実はこうでしょうね。これでもし、ラストが浅間と神楽で真実を世に公表して悪が裁かれて終わり!とかだったら現実味がないもの。この小説がなんだか現実味があるなと思ったのはラストが、政府に真実を握りつぶされて終わったから。しかも神楽なんて隠居しちゃうし。まあ、お父さんのトラウマを陶芸を始めることで克服していくというある種のハッピーエンドでもあったのかもしれない。
さて、冒頭でこの小説のテーマは「監視社会」と述べましたが、
DNAによる監視、監視カメラ、タクシーや切符を買うだけで居場所が特定されること、電話の発信位置による特定、総力戦による捜索、など、私たちは思った以上に監視されているのだなということを意識させられました。現代社会を生きる私たちはいつもどこかで監視されていて、そこから逃れられない。考え直してみると、異常ですよね。でも、監視カメラなどがなければ犯罪を防げない、監視されていないと犯罪をおかしてしまうという事実もあります。監視がすべて悪いとは思いませんが、やはり行き過ぎた監視は不気味なのでやめてほしいです。DNA検索システム自体、そう遠い未来の話でもなさそうだから余計怖い。
もし日本でDNA検索システムが本当に導入されたらみなさんはどうしますか?